しあわせの定義について考える「幸せってなんだろう」

余暇活動

とある冊子の読み物で直木賞作家の角田光代さんが「幸せって何だろう」という記事を書かれていらっしゃいました。

角田光代さんの小説は読んだことがなかったのですが、この記事を見て気になったので図書館で借りて読んでみたいと思います。買わなくて申し訳ありません…

いじめで群馬に転校してきた女子高生のアオちんは、ナナコと親友になった。専業主婦の小夜子はベンチャー企業の女社長・葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始める。

立場が違ってもわかりあえる、どこかにいける、と思っていたのに……

結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、たったそれだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。

女性の友情と亀裂、そしてその先を、切なくリアルに描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

文藝春秋より引用

角田光代さんはまず「幸せの定義」について考える必要があり、その種類は1種類でなく幸せだと自覚するしあわせと自覚しないしあわせがあると定義づけていました。

  • 自覚するしあわせ:例)おいしいものを食べている時
  • 自覚しないしあわせ:例)何気ない日常

上記は誰にでも当てはまるもので、これとは別に自分自身限定のしあわせというものがあるとも書かれていました。

  • 自分限定のしあわせ:例)猫をなでるとき、旅、読書

この記事をみて自分自身のしあわせについても考えてみました。

自分の人生の残り時間を考えた時に、可能な限り自分が幸せだと感じる事に時間を割いていきたいと考えたからです。

  • 自分のしあわせ:家族で散歩している時、知らないことを知った時、嬉しそうにしている人を見た時、散歩の途中で野生動物を見た時、赤ちゃんを見て目があった時、ランチのクーポン等で少し得をした時、メルカリで不用品が売れた時、掘り出し物を見つけた時、ランニングして銭湯に入っている時、友人と待ち合わせしている瞬間、たわいもない話をしながらボードゲームをしている時

取り留めもなく書き出してみましたが、お金は最低限あれば十分で孔子先生が「朋あり遠方より来る」とおっしゃったように、心を許せる家族や価値観の近い友人と過ごす時間が大切であることがわかりました。

おわり

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